旅のテーマ

日本三名園とは

金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園。いずれも江戸時代の大名が城のそばに築いた池をめぐる庭で、雪吊りの縄、旭川ごしの天守、三千本の梅と、庭の主役がまるで違う。

日本三名園は、石川県金沢市の兼六園、岡山県岡山市の後楽園、茨城県水戸市の偕楽園を指す。三園とも江戸時代に大名が造営した池泉回遊式の庭園で、いずれも城の近くに置かれている。造営した藩も年代も別々だが、明治以降にこの三つが並べて語られるようになった。

日本三名園 一覧(造営が古い順)

庭園名 所在地 見どころ
兼六園 石川県金沢市 1676年、加賀藩5代藩主・前田綱紀が金沢城に面する傾斜地に別荘を建て、周囲を庭園化したのが始まり。霞ヶ池の北岸には、琴柱に似た二股の脚を持つ高さ2.7mの徽軫灯籠。日本最古とされる園内の噴水は、池との高低差だけで動力を使わずに水を上げる。
後楽園 岡山県岡山市 岡山藩主・池田綱政が家臣の津田永忠に命じ、1687年着工、14年かけて1700年に完成させた庭。旭川の中州にあり、広い芝生の先に対岸の岡山城を借景として取り込む。園内には今も井田と茶畑が残る。
偕楽園 茨城県水戸市 水戸藩主・徳川斉昭が1842年に開いた庭園。本園に100種3000本の梅が植えられ、2月中旬から3月下旬の水戸の梅まつりで咲きそろう。斉昭が建てた木造三階建ての好文亭は、最上階の楽寿楼から千波湖と筑波山を望む。

三名園と呼ばれる由来

「日本三名園」という語がいつ生まれたかは、はっきりしていない。確かめられるのは、1899年(明治32年)刊行の『日本三名園之一 後楽園新圖』に既にこの呼び名が使われていること、1904年の外国人向け写真集でも用いられていることである。江戸時代の文献にさかのぼる日本三景と違い、三名園は近代の出版物を通じて広まった呼び名といえる。選者がわからないまま三つ並べる言い方だけが定着した例はほかにもあり、日本三名橋も同じく成立時期がはっきりしない。

なぜこの三つなのかについては、雪月花になぞらえた説がある。雪が兼六園、月が後楽園、花が偕楽園にあたるという見立てである。実際に三園を並べると、江戸時代の大名庭園であること、池のまわりを歩いてめぐる池泉回遊式であること、城のそばにあることの三点が共通している。ただし兼六園と後楽園が土塁に囲まれて城の出丸の役目も持っていたのに対し、偕楽園にはその性格がない。

三園の指定と広さの違い

三園はいずれも国の文化財だが、区分は同じではない。後楽園は1952年(昭和27年)、兼六園は1985年(昭和60年)3月20日に、それぞれ国の特別名勝に指定された。一方の偕楽園は1922年(大正11年)3月8日に「常磐公園」の名称で国の史跡及び名勝に指定されており、三園で唯一、特別名勝ではない。

広さは兼六園が11.7ha、後楽園が14.4ha、偕楽園の本園が約13haと、歩いてめぐる範囲としては近い。ただし偕楽園は周辺の拡張部を含めると約300haに及び、隣の千波湖一帯まで続く広い公園の一部として整備されている点が他の二園と異なる。

大名の庭が一般に開かれるまで

三園はもともと藩主の庭で、誰でも入れる場所ではなかった。開放の仕組みを最初から持っていたのは偕楽園で、毎月「三」と「八」のつく日には領民も入れた。ただし武士以外の入園は当初、神官や僧侶など宗教関係者に限られ、他藩の者は許されていない。名は『孟子』の「古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなり」から採られている。藩校・弘道館で学び、偕楽園で息を抜くという対の組み立てが、斉昭の構想にはあった。

残る二園が開かれたのは明治に入ってからである。後楽園は1871年(明治4年)、藩知事の池田章政が日を限って一般に開放し、このとき『岳陽楼記』の「先憂後楽」から名を採って「御後園」を「後楽園」と改めた。兼六園は1874年(明治7年)5月7日に一般公開されている。三園が誰でも入れる場所になったのが明治の初めで、「日本三名園」の呼び名が確かめられるのはその後の1899年。庭が公園になってから、三つを並べる見方が広まったことになる。

めぐり方のヒント

三園は石川・岡山・茨城に分かれており、まとめてめぐる旅は組みにくい。それぞれの地方を訪れる旅に一つずつ組み込んでいくのが現実的である。兼六園と後楽園はすぐそばの城とあわせて半日ほど、偕楽園は隣り合う千波湖の湖畔まで含めて歩くとよい。

季節を選ぶ価値がはっきりしているのも三名園の特徴である。偕楽園は梅の2月中旬から3月下旬、兼六園は雪吊りが立つ晩秋から早春。兼六園の雪吊りは毎年11月1日に霞ヶ池畔の唐崎松から作業が始まり、12月中旬まで園内各所に立てられて、3月中旬まで見られる。

兼六園はJR金沢駅からバスで12分ほど、「兼六園下・金沢城」下車。金沢城公園とは百間堀通りを挟んで橋一本でつながるので、続けて歩ける。後楽園はJR岡山駅から徒歩25分ほど。園と岡山城は旭川を挟んで向かい合い、月見橋を渡って行き来できる。偕楽園はJR水戸駅北口からバスで15分ほど。梅まつり期間の土曜・休日には常磐線に臨時の偕楽園駅が開くが、ホームが下り線側にしかなく上り列車は通過するため、東京方面から向かう行きの片道でだけ使える。

よくある質問

Q. 日本三名園の覚え方は。

造営が古い順に兼六園(金沢)・後楽園(岡山)・偕楽園(水戸)。「こうらく」「かいらく」と語尾がそろう二園に兼六園を足す、と覚えると並びごと思い出しやすい。

Q. 兼六園の「兼六」とはどういう意味か。

宋の李格非が『洛陽名園記』で名園・湖園を「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える」と評した一文にちなむ。1822年(文政5年)、前田斉広の依頼を受けた松平定信が命名したとされる。

Q. 東京ドームの隣にある後楽園とは別の場所なのか。

別の庭園である。東京の小石川後楽園は水戸徳川家の江戸屋敷の庭で、1629年(寛永6年)に徳川頼房が造営を始めた。三名園に数えられるのは岡山の後楽園のほうで、両園とも「先憂後楽」に由来する同じ名を持つ。

Q. 高松の栗林公園はなぜ三名園に入っていないのか。

栗林公園は江戸時代の大名庭園で国の特別名勝にも指定されているが、明治期に広まった三名園の呼び名には入らなかった。1910年(明治43年)の文部省『高等小学読本』が栗林公園を三名園より優れていると記した例もあり、選定に公的な根拠があるわけではない。

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