旅のテーマ

新日本三景とは

大正時代の投票で選ばれた大沼・三保松原・耶馬渓。火山がせき止めた湖、富士を望む松原、奇岩の渓谷と、江戸の日本三景とはまるで手ざわりの違う三つの風景である。

新日本三景は、北海道の大沼、静岡県の三保松原、大分県の耶馬渓の三か所を指す。1915年(大正4年)に実業之日本社が全国投票を行い、翌1916年(大正5年)に結果が発表された。海の景色が並ぶ日本三景に対し、湖・松原・渓谷と地形がばらばらなのが特徴である。

新日本三景 一覧(北から南へ)

景勝地名 所在地 見どころ
大沼 北海道七飯町 北海道駒ヶ岳の噴火で流れ出た溶岩が川をせき止めてできた湖。周囲約24kmの湖面に120ほどの小島が浮かび、橋を渡って島から島へ歩ける。水面に映る駒ヶ岳の山影が眺めの主役で、2012年にラムサール条約の湿地に登録された。
三保松原 静岡県静岡市清水区 駿河湾沿いに約7kmの松林が続き、その先に富士山が重なる。天女が羽衣を掛けたと伝わる羽衣の松が立ち、2013年には世界文化遺産「富士山」の構成資産に登録された。晴れた冬の朝ほど富士がよく見える。
耶馬渓 大分県中津市 山国川が凝灰岩の台地を削ってできた渓谷。1818年に頼山陽が訪れて漢詩に詠み、この名がついた。禅海和尚が手掘りで岩壁を貫いた青の洞門、奇岩が一度に見渡せる一目八景と、岩そのものを見に行く景勝地である。

日本三景との違い

日本三景は寛永20年(1643年)に儒学者の林春斎が記した「三処奇観」に始まり、松島・天橋立・宮島といずれも海の景色が並ぶ。対して新三景は大正の全国投票、つまり読者による人気投票で決まっており、湖・松原・渓谷と地形もそろっていない。学者の目から読者の票へ、選ぶ主体が移った時代の産物である。

選定当時の呼び名は「日本新三景」で、1918年(大正7年)には3か所に記念碑が建てられた。現在は各地の観光案内で「新日本三景」の表記も広く使われている。

めぐり方のヒント

三か所は北海道・静岡・大分に分かれ、日本三景よりもさらに散らばっている。まとめてめぐる旅は組みにくいので、その地方を訪れる旅のついでに1か所ずつ拾っていくのが現実的である。大沼は函館から電車で、三保松原は清水の市街から路線バスで、耶馬渓は中津から車で向かうのが基本になる。

三景のうち、歩いて完結するのは大沼と三保松原である。大沼は湖畔の小島をつなぐ散策路が整備され、島から島へ橋を渡っていく一番長いコースでも1時間ほどで戻ってこられる(周囲約24kmの湖そのものを歩いて回るわけではない)。三保松原も松林の遊歩道から羽衣の松まで歩いて回れる。一方の耶馬渓は青の洞門と一目八景が20kmほど離れており、車がないと点在する見どころを回りきれない。

よくある質問

Q. 新日本三景はいつ、どうやって選ばれたのか。

1915年(大正4年)に実業之日本社が全国投票を行い、翌1916年に大沼・三保松原・耶馬渓が発表された。1918年には3か所に記念碑が建てられている。江戸時代の文人の評価に由来する日本三景とは、選定の経緯がまったく異なる。

Q. 「新日本三景」と「日本新三景」はどちらが正しいのか。

どちらも同じ三か所を指す。選定当時の呼び名は日本新三景で、1918年の記念碑もその名で建てられた。現在は観光案内などで新日本三景の表記も広く使われている。

Q. 三保松原は世界遺産なのか。

三保松原そのものが単独で登録されているのではなく、2013年に登録された世界文化遺産「富士山」の構成資産のひとつである。国の名勝にも指定されている。

新日本三景を、アプリで集める。

めぐたびは、旅に「行く理由」を与えるテーマ別に全国のスポットを発見・記録・収集する無料アプリ。新日本三景をはじめ73のテーマを収録。訪れた景勝地を記録して、踏破を目指せる。

めぐたびのマスコット「めぐのすけ」
テーマ一覧へ戻る