旅のテーマ

日本三大茅葺き集落とは

街道の両側にまっすぐ並ぶ寄棟の屋根、庄川の段丘に寄り添う二十棟、谷いっぱいに広がる急勾配の合掌造り。同じ茅葺きでも、宿場と山村では屋根に求めたものが違う。

日本三大茅葺き集落は、福島県下郷町の大内宿、富山県南砺市の五箇山、岐阜県白川村の白川郷を指す呼び名である。国や自治体が選定した名称ではなく、茅葺き民家がまとまって残る地を数えるうちに広まった俗称で、五箇山に代えて京都府南丹市の美山かやぶきの里を挙げる資料もある。三か所とも国の重要伝統的建造物群保存地区で、うち五箇山と白川郷は1995年に世界文化遺産へ登録された。

日本三大茅葺き集落 一覧(北から南へ)

集落名 所在地 見どころ
大内宿 福島県下郷町 山あいに全長約450mの旧街道がまっすぐ通り、その両側に44棟の主屋が軒を連ねる。屋根は四方に勾配が下りる寄棟造り。街道の突き当たりの石段を上がると、茅葺きが一直線に続く全景を見下ろせる。
五箇山(相倉集落) 富山県南砺市 庄川沿い、標高400mほどの段丘に合掌造り20棟が身を寄せる小集落。駐車場から段々畑を5分ほど登ると屋根を見下ろす高台に出る。広い小屋裏は養蚕に、床下は加賀藩へ納める塩硝づくりに使われた。
白川郷 岐阜県白川村 45.6haの保存地区に合掌造り59棟。屋根の妻を南北に向けて庄川と平行に並ぶのは、吹き抜ける風を受け流し、養蚕に要る通風と採光を妻側から採るため。荻町城跡の展望台から谷ごと見渡せる。

三大茅葺き集落と呼ばれる由来

茅葺きが集落として面で残った例は多くない。戦後、葺き替えの手間と茅場の確保が重荷になり、屋根はトタンや瓦へ替わっていった。転機は1975年(昭和50年)の文化財保護法改正で、建物単体ではなく町並みごと守る重要伝統的建造物群保存地区の制度がここで生まれる。白川村荻町は翌1976年9月4日、全国7地区だけの第一次選定に入った。大内宿は1981年4月18日に宿場町として、五箇山の相倉・菅沼は1994年12月21日に山村集落として選ばれている。

「日本三大茅葺き集落」はこの制度の用語ではない。規模と知名度から三つを挙げる言い方が広まったもので、三つ目に京都府南丹市の美山かやぶきの里(北集落。1993年12月選定、50戸のうち38棟が茅葺き)を数える資料もあり、顔ぶれは一つに定まっていない。江戸時代の文献にさかのぼる日本三景のような古い呼び名ではなく、保存制度が整ったあとに残った集落を数えて生まれた、新しい言い方だと考えておくとよい。本ページはアプリの収録にあわせて大内宿・五箇山・白川郷の三か所を扱う。

合掌造りと寄棟造り、屋根が違う理由

三か所を並べると、屋根の形がそのまま土地の生業を映していることがわかる。

五箇山と白川郷の合掌造りは、叉首(さす)を組んだ切妻造りで、勾配は45度から60度と急である。重い雪を落とすためであり、同時にその内側にできる広い小屋裏が仕事場になった。上層では蚕を飼った。五箇山ではさらに床下で草と蚕の糞を寝かせて塩硝(火薬の原料)を仕込み、加賀藩がこれを買い上げている。白川郷で屋根の妻を南北に揃えるのも、風を受け流すことに加えて、妻側から養蚕に要る風と光を採るためとされる。山村の生業が、屋根の形を勾配から向きまで決めていったことになる。

大内宿の主屋は寄棟造りで、四方に屋根が下りる。街道には妻ではなく平(ひら)を向け、道側に商いの間を構える。ここは荷や人馬の継ぎ立てと宿を営むかたわら、高地で農業も行う集落だった。屋根裏を産業の場とする造りではなく、勾配も合掌造りほど急ではない。同じ茅葺きでも、雪深い山村と街道沿いの宿場では、屋根に負わせた役目が違っている。

住民が決めた「売らない・貸さない・壊さない」

白川郷荻町では1971年、「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」の発足にあわせて住民憲章がつくられ、「売らない・貸さない・壊さない」の三原則が掲げられた。国の選定より5年早い。家屋が売られて外観が変わることを、制度ではなく住民の申し合わせで先に止めた形である。大内宿でも1981年の選定を機に保存活動が始まり、同じ三原則を掲げる住民憲章が定められた。土産物屋や食事処になった茅葺き家屋が並びながら外観の線が保たれているのは、この取り決めによる。

葺き替えそのものも共同作業で支えられてきた。白川郷には「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助の仕組みがあり、一軒の屋根を原則として一日で葺き上げる。屋根は数十年に一度、集落総出でしか替えられない大きさである。景観が一棟ずつではなく面で残ったのは、この助け合いが続いたからでもある。

めぐり方のヒント

三か所を一度の旅でまとめるのは難しい。五箇山の相倉と白川郷は同じ庄川沿いで直線約19kmしか離れておらず、同じ日に続けて訪ねられる。一方の大内宿は白川郷から直線でも約290km離れた会津にあり、別の旅として組むことになる。

五箇山と白川郷には鉄道が通っていない。白川郷へは金沢・高山・富山・名古屋などからの高速バス、相倉へは高岡・新高岡から世界遺産バスが入る。両者を結ぶバスもあるので、片方から片方へ抜ける形にすると乗り換えが少なくて済む。大内宿の最寄りは会津鉄道の湯野上温泉駅で、そこから猿游号のバスで約20分。会津若松・会津田島方面からは、鉄道とバスがセットになった大内宿共通割引きっぷが使える。

三か所とも、高台に上がってはじめて集落の形が見える。白川郷は荻町城跡の展望台まで坂道を歩いて20分ほど、シャトルバスなら10分ほど。相倉は駐車場から段々畑を5分ほど。大内宿は街道の突き当たり、子安観音堂の建つ丘へ石段で上がる。

いずれも豪雪地帯で、冬は雪をかぶった屋根が見どころになる一方、足元と交通の条件は厳しくなる。白川郷の冬のライトアップは開催日が限られ、2019年には完全予約制が導入された。運用は年ごとに変わるため、訪れる時期を決める前に、その年の開催日と予約の要否を確かめておきたい。

よくある質問

Q. 日本三大茅葺き集落の覚え方は。

北から会津の大内宿(福島県)、越中の五箇山(富山県)、飛騨の白川郷(岐阜県)。五箇山と白川郷は庄川沿いに約19kmの隣同士で、大内宿だけが東北に離れている、と位置で二つに分けると並びごと覚えやすい。

Q. 三か所とも世界遺産なのか。

世界文化遺産に登録されているのは五箇山と白川郷で、1995年12月に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてまとめて登録された。大内宿は世界遺産ではなく、1981年に国の重要伝統的建造物群保存地区(宿場町)に選定されている。

Q. 五箇山の相倉と菅沼はどちらを訪ねればよいか。

世界遺産の集落は相倉と菅沼の二つで、どちらも見学できる。合掌造りは相倉が20棟、菅沼が9棟。全景を見下ろせる場所はどちらにもあり、相倉は駐車場から段々畑を登った高台、菅沼は国道156号沿いの展望広場から望む。菅沼は東海北陸自動車道の五箇山ICから1kmほどと近く、短時間で立ち寄りやすい。同じ庄川沿いなので、車なら続けて回れる。

Q. 大内宿のねぎそばとは何か。

箸の代わりに長ねぎを一本添えて出すそばで、地元では高遠そばとも呼ぶ。1643年に会津藩主となった保科正之が、育った信州高遠のそばを好んで会津へ伝えたことに由来するとされる。ねぎを箸に見立てる出し方が名物として知られるようになったのは、大内宿が観光地になってからである。名の通った食べ方を持つそばという点では日本三大そばと同じ系譜だが、三大そばに数えられるのは盛岡・戸隠・出雲の三つである。

日本三大茅葺き集落を、アプリで集める。

めぐたびは、旅に「行く理由」を与えるテーマ別に全国のスポットを発見・記録・収集する無料アプリ。日本三大茅葺き集落をはじめ73のテーマを収録。訪れた集落を記録して、踏破を目指せる。

めぐたびのマスコット「めぐのすけ」
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