旅のテーマ
熊野三山とは
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。もとは別々の神を祀っていた三社が、互いの神を招き合って一つの信仰になった。山あいの旧社地、河口の街なかの朱塗り、落差133mの滝そのもの。迎える景色は三社三様である。
熊野三山は、和歌山県田辺市の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社を指す。三社はそれぞれ別の神を祀る社として起こったが、やがて互いの祭神を勧請し合い、三社共通の神々を祀るようになった。この神々は熊野三所権現、主祭神以外も含めて熊野十二所権現と呼ばれる。三社と周辺の参詣道は2004年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界遺産に登録された。
熊野三山 一覧(本宮・速玉・那智の順)
| 神社名 | 所在地 | 見どころ |
|---|---|---|
| 熊野本宮大社 | 和歌山県田辺市 | 幟の並ぶ158段の石段を上ると、檜皮葺きの社殿が横に連なる。1889年(明治22年)8月の十津川大水害まで社地は熊野川の中州・大斎原にあり、流失を免れた上四社だけが1891年に現在地へ移された。 |
| 熊野速玉大社 | 和歌山県新宮市 | 熊野川の河口に近い新宮の市街に朱塗りの社殿が建つ。境内には平重盛の手植えと伝わるナギの大木。祭神が最初に降り立ったとされる神倉山のゴトビキ岩からこの地へ遷ったことが、「新宮」という地名の由来にあたる。 |
| 熊野那智大社 | 和歌山県那智勝浦町 | 標高330mほどの那智山の中腹、467段とされる石段の上に社殿が並ぶ。別宮の飛瀧神社は社殿を持たず、落差133m・銚子口の幅13mの那智滝そのものを御神体とする。隣は西国三十三所第一番の青岸渡寺。 |
熊野三山と呼ばれる由来
三社は初めから一組だったわけではない。本宮の家都美御子大神、速玉の熊野速玉大神、那智の熊野夫須美大神と、もともとは別々の神を祀る社である。三社がそれぞれ勢いを持つようになると、互いの神を勧請し合い、どの社でも三神をあわせて祀るようになった。これによって三社は熊野三所権現という一体の信仰対象になり、主祭神以外の神々も含めて熊野十二所権現と呼ばれた。
神仏習合のもとでは、それぞれの神に対応する仏も定められた。本宮の家都美御子大神は阿弥陀如来、速玉の熊野速玉大神は薬師如来、那智の熊野夫須美大神は千手観音にあたるとされる。阿弥陀の浄土、観音の補陀落と重ねられたことで、熊野の山と海はこの世にある浄土として受け止められた。参詣が「甦り」の旅として語られたのは、この見立てが背景にある。
三社の違いと、数が違う烏文字の護符
三社の性格は立地にそのまま出ている。本宮は熊野川・音無川・岩田川が合流する中州に鎮座した山あいの社で、水害を経て今は一段高い場所にある。速玉は熊野川の河口近く、新宮の市街に接した平地の社。那智は山の中腹にあり、社殿より先に滝がある。祀る神は共通でも、参拝の体験は山・川・滝と分かれる。
三社が共通して出す護符が熊野牛王符である。無数の烏をかたどった烏文字で刷られ、その数は本宮88羽、新宮48羽、那智72羽と社ごとに異なり、本宮と新宮は「熊野山宝印」、那智は「那智瀧宝印」と記す。これは単なる護符ではなく、鎌倉時代以降は誓約書として使われた。1266年、東大寺の僧が争いの決着にこれを用いた記録が早い例にあたる。誓いを破れば熊野の神の使いである烏が死ぬと信じられ、戦国武将の盟約から江戸の遊女の誓紙まで、破れない約束の紙として重んじられた。
熊野詣がひらいた道
熊野が全国に知られたのは、院政期の御幸によるところが大きい。白河上皇が1090年に最初の熊野詣を行い、1116年の参詣を境に規模が大きくなった。以後の回数は白河9回、鳥羽21回、後白河34回、後鳥羽28回と重なる。御幸は1281年(弘安4年)の亀山上皇を最後に途絶えるまで、二百年近く続いた。
熊野は身分や男女を問わず参詣者を受け入れた。御師が宿と祈祷を引き受け、先達が道案内をし、熊野比丘尼が各地で信仰を説いて回る仕組みができあがると、参詣は貴族の外へ広がっていく。中世には人の列が途切れないさまを指して「蟻の熊野詣」と呼ばれた。参詣者が歩いた道が熊野古道で、田辺から山中に入る中辺路、串本を回る大辺路(約120km)、高野山から南下する小辺路(約70km)、伊勢から向かう伊勢路(約160km)などがある。2004年、これらの道は日本で初めて世界遺産に登録された道となった。道そのものが世界遺産になった例は、スペインのサンティアゴ巡礼路に次いで世界で2件目にあたる。
めぐり方のヒント
三社は和歌山県南部にまとまっているが、山と海に隔てられていて近くはない。直線距離で本宮と速玉が約24km、速玉と那智が約12km、那智と本宮が約22kmで、実際の道のりはこれより長くなる。新宮か紀伊勝浦に泊まり、熊野川沿いの道をさかのぼって本宮を往復し、別の日に海沿いを南下して那智へ向かうと組みやすい。
公共交通で回る場合は本数の少なさを見込んでおきたい。JR新宮駅から本宮大社前まではバスで1時間を超える。JR紀伊勝浦駅から那智山までは30分弱で、那智大社と青岸渡寺は隣り合っているので続けて参拝でき、飛瀧神社と那智滝へは石段を下りる。那智滝は日本三大名瀑のひとつでもある。大門坂の駐車場から歩けば、杉木立と苔むした石畳の熊野古道を1kmあまりたどって那智大社に着く。
日を選べる旅なら祭りに合わせる手もある。那智の扇祭り(那智の火祭)は7月14日、速玉大社の例祭は10月15日から16日。速玉大社の摂社である神倉神社では、2月6日の夜に白装束の男たちが松明を持って538段の石段を駆け下りる御燈祭が行われる。本宮の旧社地・大斎原は現社地から500mほどで、高さ33.9mの大鳥居が田の先に立っている。
よくある質問
Q. 熊野三山の覚え方は。
本宮・新宮・那智の三つで覚えるとよい。熊野本宮大社は田辺市本宮町、熊野速玉大社は新宮市、熊野那智大社は那智勝浦町の那智山にあり、社と土地の名がほぼ重なる。速玉大社を「新宮」と呼ぶのは、神倉山から社が遷った先を新しい宮と称したことに始まり、その呼び名が土地の名にもなった。
Q. 熊野三山と熊野古道はどう違うのか。
熊野三山は参詣の目的地である三つの社、熊野古道はそこへ至る参詣道の総称である。三山だけを車で訪ねることもできるし、道の一部を歩いて三山に至ることもできる。世界遺産としては両方が一つの資産にまとめられている。
Q. 熊野三山は世界遺産なのか。
三社とも2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録された。この資産は熊野三山のほか高野山、吉野・大峰と、それらを結ぶ参詣道からなり、和歌山・奈良・三重の3県にまたがる。
Q. 八咫烏はなぜ熊野のシンボルなのか。
烏は熊野の神の使いとされてきた。三社が出す熊野牛王符が烏をかたどった文字で刷られるのもこの信仰による。神武天皇を熊野から大和へ導いたと伝わる八咫烏の話と結びつき、烏の意匠が熊野を表すものとして広まった。
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